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東京高等裁判所 昭和53年(ネ)631号 判決 1980年11月19日

控訴人

稲葉洋子

控訴人

稲葉一彦

控訴人

稲葉浩美

右両名法定代理人親権者母

稲葉洋子

右控訴人ら三名訴訟代理人

佐伯幸男

浅井利一

被控訴人

右代表者法務大臣

奥野誠亮

右指定代理人

布村重成

外三名

主文

一  控訴人らが当審において交換的に変更した主位的請求及び控訴人らが当審で追加した予備的請求をいずれも棄却する。

二  当審における訴訟費用は控訴人らの負担とする。

事実

控訴人らは、本件控訴状(同控訴状により昭和五三年三月七日に本件控訴が提起され、同年六月一二日の当審第一回口頭弁論期日に同控訴状が陳述された)において、原審における訴(その請求の趣旨及び原因は原判決事実摘示中控訴人ら関係部分のとおりであるから、これをここに引用する。)を撤回し、新訴を提起することにより、訴の交換的変更をし、右新訴につき、「原判決中控訴人ら関係部分を取消す。被控訴人は控訴人稲葉洋子に対し金一、六二九万円、控訴人稲葉一彦、同稲葉浩美に対しそれぞれ金一、五一九万円及びこれらに対する昭和四七年七月二七日から右各支払済まで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決及び仮執行の宣言を求め、なお、当審第四回口頭弁論期日(昭和五三年一一月八日)において、予備的請求を追加し、新訴前記主位的請求と同旨の判決を求めた。

被控訴人は、右の訴の交換的変更には異議がない、と述べたが、右の予備的請求の追加には後記(第四の一)のとおり異議を述べ、「右各請求を棄却する。」旨の判決を求めた。

当事者双方の事実上の主張及び証拠関係は次のとおりである。

第一  (控訴人らの新訴の主位的請求の請求原因。国家賠償法一条一項によるもの。)

一  訴外上井熙及び同稲葉允はいずれも海上自衛隊第二〇三教育航空隊に所属する二等海尉たる海上自衛官であつた者であるが、昭和四七年七月二六日千葉県の下総基地において上井熙は正操縦員機長として、稲葉允は副操縦員として右航空隊所属の対潜哨戒機P2V―7型航空機二〇三―四六五〇号機(以下五〇号機という)に乗り込み、同日午前九時四九分頃同基地を離陸し、鹿児島県にある海上自衛隊鹿屋航空基地へ向つたが、同日午後〇時五一分頃右鹿屋航空基地北方約九キロメートルの鹿児島県鹿屋市上祓川町大平国有林一四六班チ小班(高隈山東斜面、標高約三六〇メートルの地点)附近において右高隈山山腹に衝突し、右上井熙、稲葉允を含む同機の搭乗員七名全員が死亡した。

二  上井熙は、総飛行時間数三、四〇四時間、計器飛行証明(緑)を保有し、操縦及び航空航法の教官資格を付与されており、稲葉允は、総飛行時間数二、八〇二時間、計器飛行証明(緑)を保有し、航空航法教官の資格を付与されていたものであるが、海上自衛官たる上井熙は、右のとおり、当時正操縦員機長として同機の搭乗員を指揮し、五〇号機を運航する職にあり、国の公権力を行使する公務員である。

三  本件事故は、次のとおり上井熙の過失により惹起されたものである。

1  五〇号機の操縦席は複座式で、左席が正操縦員席、右席が副操縦員席となつており、本件事故当日の同機の運航については上井熙が左席に、稲葉允が右席に位置していたが、同機が同日午後〇時四三分五二秒頃(以下1243.52秒頃という表示で表わす)枇榔島の南南東約3.5海里の地点(原判決添付図A点)に達してから以降は、当日は気象状況が不安定であり、一般に着陸については最も高度の技術及び心身の緊張を必要とするので、特別の事情のないかぎり、正操縦員機長である上井熙自らが同機の操縦桿の操作をしていたと推測するのが合理的である。

2  本件事故当時、五〇号機のような航空機が右のA点から目的地たる鹿屋飛行場に着陸するためには、通常、同図面ABGHIJの各点を順次結ぶ線上の航路(以下これを通常航路という)を飛行することとされているのに、五〇号機は当時同図面ABCDEFの各点を順次たどる線上の航路(以下これを飛行航跡という)を飛行した。

3  右のとおり、五〇号機を操縦していた上井熙は、通常航路からはずれて飛行したうえ、当日同図面B点から鹿屋基地飛行場に赴くコースのあたりには、高度一、五〇〇フィートないし一、二〇〇フィート付近で下層雲が断続して去来する気象状況にあり、しかも当日共に下総基地から鹿屋基地へ飛行していた五〇号機を含む九機のうち、その先頭を飛行した司令機が当日午後〇時四八分以前に全機に対しGCA(地上着陸誘導装置)による着陸誘導を受けて着陸するよう指示しているのであるから、五〇号機の操縦者たる上井熙としては、基地管制塔の許可をえて有視界飛行方式を計器飛行方式に切替え、地上からのGCAによる着陸誘導を受けるべきであるのに、有視界飛行方式のまま、漫然雲中を飛行し、そのため自己の操縦する五〇号機の機位を誤認した結果本件事故が発生したのである。したがつて本件事故は正操縦員機長たる右上井熙の過失に基くものである。

四  なお、本件事故は稲葉允と上井熙との共同過失に基づくものではないのであるから、両者を共同行為者とする被控訴人の主張は失当である。すなわち、一般に、正操縦員機長は飛行中搭乗員を指揮し、航空業務の実施について責任を有するとともに、航空機の安全な運航のためその運航に関し全責任を負つているものである。そして、航空機の操縦の本質的要素は三舵(昇降舵、方向舵、補助翼)の操作とエンヂンの管制であるが、これらは相互に有機的に結合関連し、その作動はつり合いのとれたものでなければならず、右操縦は一個の主体によつて行わなければならないのであつて、これを二人の操縦員が共同して行うことは本来物理的に不可能なのである。本件の場合のように、正副二名の操縦員が各操縦席に乗組んでいてもこのことは同じであり、副操縦員は、操縦について機長たる正操縦員と対等ではなく、たかだか正操縦員の操縦を補佐するのみであり、それも原則として正操縦員の命令、許可の下にこれの手足として行動するにすぎず操縦自体は行わないのであつて、意見は述べることはできても、正操縦員の行動を具体的に修正することはできないのである。

本件において上井熙が五〇号機に正操縦員機長として乗組み、かつ、本件事故当時同機を現実に操縦していたことは前記のとおりであり、前記のような当時の気象状況、同機の飛行コースからみて、同機が枇榔島上空を通過してから本件事故に遭遇するまでの間、副操縦員たる稲葉允においては、明白な危険が切迫していることを予知しえなかつたというべく、正操縦員上井熙の行う同機の操縦につき補佐すべき余地も余裕もなかつたと考えられ、仮に同人において機位等につき上井熙に対し何らかの意見を述べたとしても、これが無視されればそれまでのことであつたことは明らかである。

右のとおり、本件事故は専ら正操縦員機長上井熙の過失に基づくものであつて、稲葉允に過失を認める余地はない。

五  以上のとおりであつて、被控訴人には、国家賠償法一条一項に従い、本件事故に起因する允の死亡により控訴人らが蒙つた損害を賠償する義務がある。

六  右損害については左のとおり付加するほか原判決事実摘示第二の五の「損害に関する原告らの主張」欄記載のとおりである(但し、控訴人ら関係部分にかぎる)から、これをここに引用する。

(付加)

遺族補償年金、遺族特別給付金合計金一、〇一二万二、一三四円についての被控訴人の主張事実を認める。但し、このうち、金一一六万三、五四四円の三倍に当る金員は、前記のとおり本訴においてすでに差引き済である。

七  よつて、控訴人らは被控訴人に対し主位的請求として国家賠償法一条一項に基づき請求の趣旨記載の各損害賠償金及びこれらに対する本件事故発生の日の翌日である昭和四七年七月二七日から右各支払済まで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

第二  (控訴人らの予備的請求の請求原因。安全配慮義務違背に基づくもの)

一  被控訴人は、国家公務員に対し、その公務遂行のための場所、施設若しくは器具等の設置管理又はその遂行する公務の管理にあたつて、国家公務員の生命及び健康等を危険から保護するよう配慮すべき義務を負つているものである。

二  そして、本件事故機たる五〇号機は右にいう施設であり、これを操縦していた正操縦員機長たる上井熙は、被控訴人が五〇号機の設置管理について稲葉允に対して負つている安全配慮義務の履行補助者である。

三  本件事故は前記のとおり上井熙の操縦上の過失により発生したものであるから、国には右安全配慮義務の履行補助者である上井熙の操縦上の過失により控訴人らに生じた損害を賠償する責任がある。

四  右損害については前記第一の六記載のとおりである。

五  よつて、控訴人らは予備的請求として被控訴人に対し安全配慮義務違背に基づき前記第一の七と同様の金員の支払を求める。

第三  (新訴の主位的請求の請求原因に対する被控訴人の認否等)

一  控訴人らの主位的請求の請求原因一の事実は認める。

二  同二の事実のうち、上井熙が国の公権力を行使する公務員である点は争うが、その余は認める。

三  同三の1の事実は認め、同三の1の主張も争わない。同三の2の事実も認める。

四  同三の3の事実は争う、稲葉允は副操縦員として正操縦員たる上井熙とともに五〇号機の機位の判断につき具体的注意義務を負つていたものであるが、上井熙との共同過失により同機の機位の判断を誤り、そのため本件事故が発生したのである。

五  同四、同五の事実、主張は争う。本件事故は次のとおり上井熙と稲葉允との共同行為によつて惹起されたものであり、したがつて、稲葉允は国家賠償法一条一項にいう「他人」ではない。

すなわち、稲葉允は本件五〇号機の操縦業務を上井熙と共同して行つたものである。一般に、航空機の操縦の要素は控訴人ら主張のとおり三舵の操作とエンヂンの管制(以下これらを操縦桿等の操作という)であるが、航空機の操縦とは操縦桿等の操作のみではなく、航空機を操縦員の意のままに安全に運航させるために、機外の見張り、航空機器の操作及び確認、地形等の確認、地上又は他機との交信、気象状態の把握等情報を集約して機の位置その他機の飛行状態を連続的に正確に判定しなければならないのであつて、これらを有機的かつ能率的に行うこともまた航空機の操縦なのである。ところで、本件五〇号機はP2V―7型の航空機であるが、この型の航空機は操縦席が複座となつていて正副両操縦員が搭乗しなければならないものとされている。このことは操縦業務に要する各操作が複雑なため、特に二人で右業務に従事すべきことを意味し、現に操縦桿等の操作をしていない操縦員はそれ以外の前記各任務を遂行しなければならないのであり、したがつて本件五〇号機の事故当時稲葉允が操縦桿等の操作をしていなかつたとしても、これの操作をしていた他の操縦員上井熙とともに同機の操縦業務の共同従事者というべきである。

しかも、本件事故は機位の誤認による操縦上の過誤がその原因と認められる場合であるところ、本件にあつては機位の確認の責任は主として副操縦員たる稲葉允にあり、かつ、同人自身が機位を誤認したと考えられるから、本件事故が上井熙のみの過失により惹起されたとはとうていいえない。すなわち、一般に副操縦員は、正操縦員と連繋して自ら操縦桿等の操作をするほか操縦に関し正操縦員を補佐するものであるが、その補佐の任務の内容は、計器類の検査、確認、通信業務、目標等の見張り、任務に応じた航法を行うこと等であり、右航法を行うことのうちに機位、針路の判定、確認等の作業が含まれるのであり、この作業は本件の場合副操縦員の最も重要な固有の任務である。したがつて、五〇号機が、本件事故前枇榔島上空で変針した後その飛行方位にずれがでているとすれば、これを看過した副操縦員稲葉允には重大な過失があつたとしなければならない。また、本件事故当日の1250.31秒に管制塔からの位置通報要求に対し、五〇号機は間髪を入れず、「鹿屋飛行場の東方約六海里、高度約一、二〇〇フィート」と応答しているのであるが、その時の実際の機位は同飛行場の北方約五海里の地点(原判決添付図面P点)であり、このとき五〇号機の操縦員が機位を誤認していたことは間違いなく、右のような交話、機位の確認が本来副操縦員の任務に属すること及び右の応答が即座のものであつたことから判断すると、副操縦員たる稲葉允自身が機位を誤認し、かつこの誤認に基き右応答をしたと考えられる。右のとおり、本件事故については稲葉允の過失によるところが多いと考えられる。

六  主位的請求の請求原因六の事実に対する認否は、次のとおり訂正するほか原判決事実摘示第二の六の「損害についての被告の認否」欄記載のとおりである(但し、控訴人ら関係部分にかぎる)から、これをここに引用する。

(訂正)

原判決三〇丁表五行目の「(四)の事実関係」から同丁裏一行目の「二四八一万八九二〇円となる。」までを「(四)については、控訴人稲葉洋子は昭和四七年八月から昭和五四年八月までに本件事故による稲葉允の死亡に伴う遺族補償年金及び遺族特別給付金として合計金一、〇一二万二、一三四円の給付をうけているので同控訴人に本件損害賠償請求権があるとしても、同控訴人の損害額から右金額が差し引かれるべきである。」と改める。

第四  (本件予備的請求の請求原因に対する被控訴人の認否等)

一  控訴人らが当審において追加した予備的請求にかかる訴は被控訴人の安全配慮義務違背に基づく損害賠償請求の訴であるが、これは控訴人らが本件控訴状による訴の交換的変更により取下げた旧訴予備的請求にかかる訴と同一のものである。したがつて民訴法二三七条二項所定の再訴禁止の規定により前者の訴を追加することは許されない。

二  予備的請求の請求原因一の主張は争わない。

三  同請求原因二の事実は争う。上井熙は被控訴人が稲葉允に対して負つている安全配慮義務の履行補助者ではない。五〇号機の運航の計画、決定にあたる者が右履行補助者である。熙は正操縦員機長として五〇号機を安全に運航させる義務を負つていたが、この義務は航空機の運航というそれ自体危険を伴う公務に従事していることから生ずる義務にすぎず、右の安全配慮義務とは別個のものである。

四  同請求原因三の事実は争う。本件事故は前記のとおり上井熙と稲葉允との共同過失により発生したのである。

五  同四の事実については前記第三の六記載のとおりである。

第五  (本件新訴主位的請求及び予備的請求の各請求原因に対する被控訴人の抗弁等)

一  控訴人らは、本件訴の交換的変更により、控訴状を提出した昭和五三年三月七日に新訴を提起したものであるところ、右新訴請求にかかる控訴人ら主張の損害賠償請求権(国家賠償法一条一項に基づくもの)は、仮にこれが発生したとしても、本件事故発生の日である昭和四七年七月二六日の翌日から起算して三年を経過した昭和五〇年七月二六日の終了により時効によつて消滅したので、被控訴人はこれを援用する。

二  そうでなくても、本件事故の内容は、昭和四七年七月二七日付の朝日新聞によつて報道されたので、これにより控訴人らは本件事故の内容を知つたというべきである。したがつて、右の損害賠償請求権は同日の翌日から起算して三年を経過した昭和五〇年七月二七日の終了により時効によつて消滅したから、被控訴人はこれを援用する。

三  そうでなくても、被控訴人は本件事故の内容を説明した「事故の概要」と題する文書を作成し、昭和四九年二月一九日頃本件事故の説明のためこれを控訴人稲葉洋子に手渡した。したがつて、控訴人らは遅くとも同日頃本件事故原因等本件事故の内容を詳細に知つたというべきである。よつて、右損害賠償請求権は同日の翌日から起算して三年を経過した昭和五二年二月一九日頃時効によつて消滅したから、被控訴人はこれを援用する。

四  仮に本件主位的請求又は予備的請求につき被控訴人に何らかの損害賠償責任があるとしても、稲葉允に過失のあつたことは前記のとおりであるから、控訴人らの本件各損害賠償請求権につき過失相殺が行われるべきである。

第六  (右抗弁等に対する控訴人らの認否、再抗弁等)

一  被控訴人の消滅時効の抗弁はいずれも否認し、過失相殺の主張は争う。

本件事故のような航空機の事故は、その内容が複雑、多岐であつて容易にその事故原因を知りえない。本件事故についても同様であり、控訴人らは本件事故の原因、特に加害者を正確に知ることができなかつたのであつて、原審における証人武内正博(本件事故調査委員会委員)の証言によりはじめて本件事故の原因を知つたのである。その証言のなされたとき、すなわち昭和五一年一〇月二一日に控訴人らはこれを知るにいたつたのであるから、主位的請求にかかる損害賠償請求権の消滅時効は未だ完成していない。

二  旧訴における国家賠償法二条一項による損害賠償請求と、新訴における同法一条一項による損害賠償請求とは、その基礎となる紛争が実質的に異らないから、旧訴においても後者の請求を潜在的にしており、この請求が新訴において顕在化したものとみるべきである。したがつて、旧訴を第一審に提起した昭和五〇年一月六日に新訴における前記請求につき時効が中断したと考えるべきである。

三  当審において追加された予備的請求の訴に関する再訴禁止の被控訴人の主張は争う。旧訴における国家賠償法二条一項による請求、安全配慮義務違背による請求、及び新訴における同法一条一項による請求は、いずれもその基礎となる紛争が実質的に異らないから、本件訴の交換的変更によつて旧訴が取下げられたとみるべきではなく、右安全配慮義務違背による請求も取下げられたと考えるべきではない。したがつて、控訴人らが当審において予備的請求の追加という形式で安全配慮義務違背による請求につきその主張内容を明確にしたからといつて、再訴禁止の規定違反の問題は生じない。

第七  (右再抗弁等に対する被控訴人の認否等)

控訴人らの第六の二の主張は争う。控訴人らの主張する両請求はその訴訟物を異にするから旧訴提起による時効中断の効力は新訴請求に及ばない。

第八  (証拠関係)<省略>

理由

第一新訴の主位的請求(国家賠償法一条一項に基づく請求)について

一被控訴人の消滅時効の各抗弁(前記第五の一ないし三)について検討する。

民法七二四条の時効の起算点は、加害者に対する損害賠償の請求をすることが可能な程度に「損害及び加害者を知つたとき」と解すべきところ、当事者間に争のない主位的請求の請求原因一の事実及び本件弁論の全趣旨によると、一般に、航空機の事故についてはその事故原因が複雑で、多岐にわたる場合が多く、特に本件のように航空機が山腹に衝突して破壊し、搭乗員全員が死亡した場合には、その事故原因の早期の究明、確認が困難であること、控訴人らはいちおう被控訴人に対する損害賠償請求の訴を提起したものの、その主張する証人武内正博の証言のなされた頃、すなわち昭和五一年一〇月二一日頃までは本件事故の具体的経緯を知ることができず、右証言によつてはじめて前記の程度に本件事故の原因を知つたこと、以上が認められる。

<証拠>によると、昭和四七年七月二七日付の朝日新聞によつて本件事故に関する報道がなされたこと、また被控訴人がその主張のような「事故の概要」と題する文書を作成し、その主張の頃これを控訴人稲葉洋子に手渡したことが認められるが、同時に右各証拠によると、両者とも本件事故の原因の記述については推測、推定にわたるものが多いのみならず、前者は鹿屋基地におけるタカン(基地からの電波による航法援助装置)の運行停止が本件事故原因の最たるものではないか(そのしからざることは後記のとおり)との疑問を提出しており、後者は、事故原因につき三行余の記述で操縦員の錯誤をいうのみで、その経緯及び根拠を明示していないものであることが認められるから、右各号証をもつて前記認定を左右するに足りず、他にこれを覆えすべき証拠はない。したがつて、控訴人らの当審における訴の交換的変更による新訴提起当時右損害賠償請求権は民法七二四条の期間を経過したものということはできないから、被控訴人の右各抗弁は理由がない。

二本件主位的請求の請求原因一(第一の一)の事実は当事者間に争がなく、同請求原因二の事実は上井熙が国の公権力の行使に当る公務員である点を除いて当事者間に争がなく、この争ない事実からすると、同人を国の公権力の行使に当る公務員とみることができる。

三そこで本件事故原因について検討する。

前記請求原因三の1の事実及び主張、同三の2の事実はいずれも当事者間に争がない。

ところで、本件事故当時、五〇号機に搭載されていたジャイロコンパスをはじめとする計器類についての整備不良、同機の飛行中におけるこれらの故障、同機のエンヂン、プロペラ等の異常等同機に瑕疵のあつたことの認められないこと、塵屋基地におけるタカン、GCA等航法援助装置ないし地上着陸誘導装置の整備不良又は運用不備、同基地における航空交通管制の実施上の不備、同基地における航空気象事務の実施上の不備等同基地における施設等の設置、管理に瑕疵のあつたことの認められないことは、当審に新たに提出援用された証拠を参酌しても原判決の認定、説示を動かすに足りず、いずれも原判決の理由一ないし三のとおりである(但し、同理由中、事実の確定に関し「当事者間に争がなく(い)」とある部分を「本件弁論の全趣旨によつて認められ(る)」と改め、原判決四六丁表九行目の「D点」を「P点」と改める)から、これをここに引用する。

四右の認定、説示からすると、本件事故の原因は結局五〇号機自身の機位の誤認に基づくものと推認するのが相当である。

五控訴人らは右の機位の誤認は、当時の悪天候の下で、正操縦員機長上井熙が漫然有視界飛行方式のまま雲中を飛行したことにより生じた旨主張するので検討する。

五〇号機が有視界飛行方式のまま飛行航跡を飛行したことは本件弁論の全趣旨から明らかであるところ、本件事故当時の飛行航跡附近の気象状況は前認定(原判決理由二の6)のとおりであり、<証拠>によると、鹿屋基地上空附近における本件事故当時頃の気象状況は、視界約九キロメートル、にわか雨があり、雲量、高度一、〇〇〇フィートで八分の二ないし三、三、〇〇〇フィートで八分の五、一〇、〇〇〇フィートで八分の七であつたことが認められ、控訴人ら主張の司令機(四二号機)が当日の午後〇時四七分から同四八分までの間に控訴人ら主張のとおり全僚機(司令機を含めると九機)に対してGCAによる着陸誘導を受けて着陸するよう勧告したことは前認定のとおりである。

しかしながら、同時に右各証拠及び本件弁論の全趣旨からすると、当時の飛行航跡、通常航路附近の気象状態は全般的に有視界気象状態の最低限度に近いものではあつたが、なお有視界飛行方式が許される気象状態であつたこと、現に五〇号機に先行して飛行していた僚機二機(二七号機及び二〇号機)は本件事故発生の頃有視界飛行方式のまま鹿屋基地飛行場に無事着陸していること、五〇号機(同機は右九機のうち前から四番目を飛行していた)に追随し、そのすぐ後を飛行していた三二号機は原判決添付図面記載の枇榔島の上空附近で一旦計器飛行方式に切替えたが、鹿屋基地上空附近で再び有視界飛行方式に切替えていること、以上が認められるのであつて、これらのことからすると、五〇号機の機位の誤認を、同機が計器飛行方式に切替えなかつたことにより生じたものと認めることは困難である。

六而して、右の三、四、五の認定、説示及び<証拠>を総合して判断すると、五〇号機の操縦員が前記のような気象状態の下で目視により判定した地形に基き自己機の位置を推定しながら、前記枇椰島上空附近を通過し、鹿屋基地をめざして飛行中、同図面C点の大崎(町)を同図面G点の串良(町)と誤認したこと、これが前記五〇号機自身の機位の誤認の原因の一つであること、以上を推認することができ、この判断を左右すべき資料はない。

七進んで、五〇号機における機位の確認、操縦状況等について検討する。

1  <証拠>を総合すると、次のとおり認めることができる。

一般に、航空機の操縦の要素は、三舵の操作とエンヂンの管制(以下、これらを操縦桿等の操作という)であり、これらは相互に有機的に関連し、つり合いのとれたものでなければならないから、通常一個の主体によつて行われるのが望ましく、この操縦桿等の操作を航空機の操縦と呼んで差支えない(いわば狭義の操縦)。しかし、航空機を安全、確実に目的地まで運航させるためには、操縦桿等の操作のみではなく、機外の見張り、航空機器の操作、確認、地形等の確認、地上又は他機との交信、気象状態の把握等情報を集約して機の位置その他機の飛行状態を連続的に正確に判定しつつ飛行することが不可欠であり、これらのことを含めて航空機の操縦と呼ぶこともできる(いわば広義の操縦。以下この意味で操縦という語を用いる。)。

一方、五〇号機の属するP2V―7型の航空機においては、操縦席が複座となつていて正副両操縦員が乗組まなければ飛行してはならないこととされており、これは同機の操縦業務に要する各操作が複雑で、諸般の注意、確認が必要であるため、特に二名で右操縦業務を行うことが要請されるからである。

同機の操縦桿については、左右両操縦席(左側が正操縦員席、右側が副操縦員席とされている)にそれぞれ同一の形状をした、しかも同時に互に連動する操縦桿があり、計器類についてはその大部分において同じものが左右双方につけられており、正副操縦員は相互に全部の計器類を注視、確認すべきものとされている。そして同機においては正操縦員が原則として操縦桿等の操作をするが副操縦員がこれをすることもあり、操縦桿等の操作をしていない操縦員は、計器類の確認、機外の見張り等前記各任務を遂行すべきものとされている。

同機における正操縦員と副操縦員の関係については、正操縦員は機長となり、航空機を点検し、乗組員を指揮し、飛行任務の達成、乗組員の安全等につき責任を有し、副操縦員は機内で二番目の指揮権を有し、機長を補佐する。すなわち、副操縦員は操縦桿等の操作をしていないときには前記の機の位置その他機の飛行状態を連続的に正確に判定するため計器類の検査、確認、通信業務、見張り、任務に応じた航法を行うのであり、航法とは機位、針路、到達予定時刻を求め、安全、正確に、かつ経済的に航空機を目的地に到達させる技法のことであつて、右の航法を行う任務の中に機位の確認等の作業が当然含まれる。

同機には航法員の搭乗設備があり、同員が搭乗しているときには同員が主として右航法を行うが、本件のように同員が乗組んでいない場合には(本件において、五〇号機を含む僚機は本件事故日の前日に台風退避のため鹿屋基地から下総基地に移動し、翌日下総基地から鹿屋基地に帰投しつつあるときに本件事故にあつた。そして本件の運航目的が右のようなものであつたから五〇号機等に航法員が乗組んでいなかつた。)、操縦員が専従的に航法を行う(いわゆるパイロット、ナビゲーション)こととされており、副操縦員が操縦桿等の操作をしていないときは同員が右航法を行うのが通常である。

かように認めることができ、他にこれを左右すべき証拠はない。

2  右認定、説示からすると、P2V―7型の航空機にあつては正操縦員機長と副操縦員とが共同して同機の操縦に従事すべきものとされており、本件事故当時同型に属する五〇号機の操縦についても正操縦員機長たる上井熙と副操縦員たる稲葉允とが共同してこれの操縦業務に従事していたとみるべきであり、本件事故発生当時五〇号機の操縦につき操縦桿等の操作をしていたのが右上井熙であつたと推測すべきであることは前記のとおりであるが、このことにより同機が同人のみの判断に基づき、同人のみによつて操縦されていたものと認めることはできない。また、本件弁論の全趣旨によつて認められる同型の航空機の操縦は複雑であつてそれ自身危険の内在するものであり、高度の技術、経験を要するものであること、前記のとおり五〇号機には航法員が搭乗していなかつたこと及び同機の右正副両操縦員はいずれも二等海尉であり、副操縦員である稲葉允は、その飛行経験は正操縦員上井熙には及ばないものの長時間の飛行歴を有する航法教官であつたこと(右事実は当事者間に争いがない)等に鑑みるとき、同機の安全な運航を期するうえでその操縦につき尽すべき正副両操縦員の注意義務についてはその重要性に軽重はなかつたものと認めるのが相当であつて、同機の正操縦員が機長であり、かつ、乗組員に対する指揮権や乗組員の安全等についての責任が第一次的に機長にあることは前記のとおりではあるが、このことも右判断を左右するものではない、と考えられる。

八次に、以上認定の事実にかかわらず、正操縦員上井熙の過失が本件事故の発生につき決定的であつたかどうかについて検討する。

右のとおり、五〇号機の操縦については上井熙と稲葉允とが共同してこれに従事していたとみるべきところ、前記認定、説示からすると、本件事故当時目視により判定した地形に基づき自己機である五〇号機の位置を推定する等の航法を行つていたものが主として稲葉允であると推認され、また、前記各証拠からすると、本件事故当日の午後〇時五〇分二七秒になされた管制塔からの位置通報要求に対し、五〇号機は即時ともいうべき同三一秒に「鹿屋飛行場の東方約六海里、高度約一、二〇〇フィート」と応答しているのであるが、その時の同機の実際の機位が同飛行場の北方約五海里の地点(同図面P点)であつたことが認められ、前記の事実と併せ考えるとこの交話者は稲葉允であると推認されるのであるから、これらのことからすると、同人自身が五〇号機の機位を誤認していることを十分に推認しうる。しかしながら、この誤認の経緯、原因についてはこれを認めるに足りる証拠はなく、また、右五〇号機の機位の誤認につき上井熙にいかなる過失があつたかについてはこれを具体的に確認すべき証拠はもとよりない。

右の次第で、五〇号機の機位の誤認がなされるにつき、上井熙の過失が決定的であつたのか、稲葉允の過失が決定的であつたのかについてはこれを確認すべき証拠がないので、結局、前記のとおり、当時五〇号機を共同して操縦していたとみるべき両者の共同過失により右誤認がなされた蓋然性が強いと考えられる。

以上要するに、本件全証拠によつても、正操縦員機長たる上井熙の過失が本件事故の発生につき決定的であつたことを肯認することができない。

九以上の次第で、上井熙の過失ある違法行為により稲葉允及びその承継人である控訴人らが損害を蒙つたことを首肯することができないから、控訴人らの新訴の主位的請求はこの点で理由がない。

第二予備的請求について

一被控訴人の再訴禁止の主張について検討する。

控訴人らは、前記のように当審において訴全部の交換的変更をしたが、これにより控訴人らのした前記の予備的請求を含む旧訴の撤回は、その性質を訴の取下と認むべきところ、被控訴人において前記のように右の訴の交換的変更に異議がないと述べたのであるから、右旧訴は予備的請求を含め有効に取下げられた。

ところで、旧訴の予備的請求は被控訴人の営造物の設置、管理の瑕疵を根拠とする安全配慮義務違背に基づく損害賠償請求であり、当審において右訴の取下後新たに追加された予備的請求は被控訴人の履行補助者たる五〇号機の正操縦者機長上井熙の同機の操縦に関する義務違背を根拠とする安全配慮義務違背に基づく損害賠償請求であり、この両請求は、その根拠とするところは異るが、ともに本件事故に関する被控訴人の安全配慮義務違背に基づく控訴人らの損害賠償請求であるから、右両請求は同一のものであり、ただこれらの攻撃方法が異るものと解される。したがつて、右両請求にかかる各訴は訴訟物を同じくし、同一の訴と解すべきである。

しかしながら、前記訴の交換的変更により旧訴の主位的請求である国家賠償法二条一項に基づく損害賠償請求は新訴の前記上井熙の不法行為を理由とする同法一条一項に基づく損害賠償請求に変更されたものであるところ、当審における右損害賠償請求の新訴の提起は、前記のとおり控訴人らにおいて本件航空機事故の原因を確知することが困難であつたことに基づくやむをえない事情によるものということができ、被控訴人も右訴の交換的変更に同意したものであつて、右主位的請求の変更に伴い、これと請求の基礎を同じくし、機長上井熙の行為を被控訴人の安全配慮義務の履行補助者の義務違背行為とみる損害賠償請求を予備的請求として追加する必要ないし利益が控訴人らに生じたものということができ、結局、控訴人らにおいて右予備的請求にかかる再訴を追加的に提起する必要ないし利益がないとはいえないから、右の再訴を許容し、右予備的請求の追加自体は許されるものと認めるのが相当である(なお、控訴人らによる右訴の交換的変更の申立は国家賠償法に基づく損害賠償請求についてのみなされたものと解する余地が全くないわけではなく、右のように解すれば、被控訴人の右主張は理由がないことに帰する。)。

二そこで右予備的請求について検討する。

国は、公務員に対し、国が公務遂行のため設置すべき場所、施設もしくは器具等の設置管理又は公務員が国もしくは上司の指示のもとに遂行する公務の管理に当つて、公務員の生命及び健康を危険から保護するよう配慮すべき義務(いわゆる安全配慮義務)を負つているものであり、この義務については、本来の職務権限として又は右権限ある者の命を受けて右公務執行のための人的、物的勤務条件等の支配管理に従事する者が国の履行補助者となるものと解される。しかして、海上自衛隊所属の航空機については、機長は、前記のとおり、右航空機を点検し、その飛行中搭乗員を指揮し、飛行任務の達成、搭乗員の安全をはかる等、航空業務の実施につき責任を有するものであるから、右航空機による業務の執行に当り、搭乗員に対する国の安全配慮義務の履行補助者ということができる。したがつて、本件五〇号機の運航につき上井熙は機長として右安全配慮義務の履行補助者であつたというべきである。しかしながら、本件五〇号機については、その人的、物的諸条件の整備、点検等において格別の瑕疵があつた事実の認められないことは前記のとおりであり、控訴人らが被控訴人の安全配慮義務の履行補助者たる上井熙の右義務の懈怠として主張するところも結局は正操縦員たる同人による同機の操縦上の過失をいうものであるところ、右の過失は上井熙が操縦員として同機を的確、安全に操縦運航すべき義務違反をいうものに過ぎず、それは同人が履行補助者として負担する安全配慮義務とは別個の操縦員としての業務上の注意義務の違背をいうものであつて、右義務を怠つたとしても、当然に前記安全配慮義務の履行補助者としての義務違背があつたことになるものではない。そして、本件においては五〇号機の操縦はいずれも相当の飛行経験と資格を有する正操縦員上井熙と副操縦員稲葉允とが共同して行つたものであり、本件事故が両者の操縦上の共同過失により発生した蓋然性が強いことは前記のとおりであるから、本件事故を、被控訴人の安全配慮義務の履行補助者としての機長たる上井熙の右の義務違背によるものということはできず、他にこれを認むべき資料はない。よつて、右予備的請求も理由がない。

第三むすび

以上の次第で、控訴人らが当審において交換的に変更した主位的請求及び控訴人らが当審において追加した予備的請求はいずれも理由がなく、棄却を免れないものである。

よつて、訴訟費用の負担につき民訴法九五条、八九条、九三条一項本文に従い主文のとおり判決する。

(外山四郎 海老塚和衛 清水次郎)

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